古井智オフィシャルブログ

SATOSHI FURUI・OFFICIAL BLOG: Opened Apocalypse

古井智 美術家 芸術学博士

Satoshi FURUI Artist PhD

ICONOPLANT (office)
(E-mail:satoshifurui7@gmail.com)

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    5.この論考の情報が漏洩したために10年間見舞われてきた組織犯罪のアウトライン

 ナチスは、第二次世界大戦によって壊滅させられたが、ナチスを生じさせた前提となっていた「その勢力」は、今日でも何らかの形で存続しているのではないかと想定されていた。また史実を調べて、「その勢力」とは、ナチス壊滅後にまだ戦争を続けていた日本に対して、降伏勧告する最後通牒として発せられたポツダム宣言の第六項で、「日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させたその権威と勢力の永久の排除」と言われた「その権威と勢力」と同等のものと考えるようになった。つまり、ポツダム宣言で言われた「その権威と勢力」とは、「日本のナチス」のことであり、またナチスを生じさせた悪魔崇拝のサタニズムのことだと考えられる。
 そのために当初、私はその論考の取り扱いにかなり慎重になっていたが、その機密が漏れたために、私は常軌を逸した組織犯罪に見舞われるようになった。私のPCがモニタリングされただけではなく、自宅は盗聴され、団地の向かいの部屋からは盗撮されるようになった。連日テレビメディアを使った工作も行われていた。おそらく電話やメールも傍受されていたのだろう。また市中の防犯カメラも利用されて、外出中の行動も常に監視され、自宅周辺でも日常的に複数のストーカーや尾行者や待ち伏せ犯につきまとわれるようになった。女のストーカーの一人は、シークレットイヤホンを使って指示されていたこともわかり、どう考えても通常の犯罪組織だけが行なっているようなことではなく、諜報機関が関与していると考えざるを得なくなった。当初は、ロシアや北朝鮮などの外国の諜報機関が、市中の防犯カメラをハッキングしているのだろうかとも思われたが、そうではなく日本の諜報機関が防犯カメラを利用していたのだろう。私の全行動が監視されて、手が回されてきたのである。
 2014年11月から、週に半分程度ホームセンターにアルバイトに行きながら、論考を続けるようになったのだが、その職場にも罠が仕掛けられていて、複数の共謀犯が送り込まれていた。期せずして、その卑劣な組織犯罪に巻き込まれてしまった人もいた。まさにナチスの謀略の手口とよく似た「その勢力」による徹底した包囲網が敷かれていたのである。その陰謀めいた組織犯罪によって、想定されていた「その勢力」は実証されたし、また私の論考の信憑性も高められることになったと思われていた。しかし、今日の日本で「その勢力」が、これほどの支配力を持っていたという事実には驚かされたし、知られざる「その勢力」を一般がまったく認識していないことには、危機感が覚えられる。
 私は、そのトリックを読み解くのに7年近くかかった。一度、盗撮被害とストーカー被害を訴えて警察署に通報したが、その対応もおかしく、こちらを詮索するようなことばかりが訊かれて、「極端な行動をとったら、破滅しますよ。」と苦情を訴えているこちらの方が、警察から脅されるようなことが言われた。その時は、警察もあてにできないようだと思うしかなかったのだが、後になって思ったのは、警察署への通報も工作員に転送されていたようだということだった。
 またその組織犯罪では、暴行や傷害を与えるような事件性が明らかになるようなことはするつもりがないということが次第にわかってきた。そうした事件性がはっきりすると、いやでも警察が動かなければならなくなるからである。「その勢力」自体が、存在を隠しながら犯罪を行なう必要があったのだろう。そして警察にも干渉させないようにしてきた。私の論考を隠滅し、「その勢力」が闇に隠れ続けるために、あくまでスパイ工作や心理攻撃による組織犯罪を続けてきた。まさに「サタンの狡知」という他なかった。
 当局によって、助けられたこともあったが、当初はその当局が、どの当局なのか判然としなかった。おそらくはアメリカの情報機関が非公式に介入したことによって、私一人に対する「その勢力」の包囲網は、一時に比べたらかなり緩和されてきたと思われる。その組織犯罪に介入したのは、日本の治安当局ではなかったのだろう。しかし、まだ反復的つきまといを続けるストーカーが数名いて、警察にそれを通報しても、取り締まろうとはしないのが2023年6月の現状である。いまだに日本の警察に対しては、事件性のないもののようにさせているのである。
 残念ながら、ポツダム宣言で言われた「その権威と勢力の永久の排除」、それは戦後の日本においても、そして21世紀の今日においても完遂されきってはいなかったと言わざるを得ない。しかし、それは日本だけの問題ではないのだろう。
 確かにサタンを現実的な脅威とみなして、「人間とサタンとの相克」と言うべき観点で史実を精査してきた私の見解は、一般の認識からはかなりかけ離れたものになってしまっているのかも知れない。しかし、その論考のために10年間見舞われてきた陰湿なテロ犯罪の事実が、そのギャップを埋める証拠になるだろう。私の論考と、そのために10年近く見舞われてきた組織犯罪とは切り離せない問題になっていたのである。
 サタンは霊的、精神的問題であり、それ自体が物理的に存在しているとは言えない。それゆえそれを現実的問題とは認め難いと思われるかも知れない。しかし、サタンは人間を介してその意志を発現し、ときに人的、物的な大きな災厄をもたらすことになると考えられる。
 またキリスト教、イスラム教によって共通して警告されてきたサタンは、仏教では「第六天魔王」と呼ばれて警告されてきたものに相当すると考えられる。仏教で言う「第六天魔王」は、他者に化けて自在に操り、自己の快楽を満たす天魔(悪魔)としての「他化自在天」と別称される。言語が違い、形容はそれぞれだが、その警告の主旨は通底するところがある。
 サタンは、この世界の真実を尊重する意志を持ち得ない。サタンは、元来この世界に属していないのであり、人間の思惟を否認する意志に根ざしているからである。だから、サタンは自らに都合のいい欺瞞を吹聴し、それをどこまでも人間に信じ込ませようとして惑わせる。またサタンは、それに罪悪感を覚えることもない。
 サタンそのものを肉眼で見ることはできないが、現に今日の世界はサタンによる禍いを目の当たりにしているのではないだろうか。
 このブログがアップロードされたことで、サタンを現実的な脅威と見做す私の論考はもはや特定秘密ではなくなり、個人もメディアもこの問題提起に対して、自らの意見を表明できるようになったはずである。


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