SATOSHI FURUI・OFFICIAL SITE
古井智 美術家 芸術学博士
Satoshi FURUI Artist PhD
ICONOPLANT (office)
(E-mail:satoshifurui7@gmail.com)
2024年9月25日更新
以前の「古井智オフィシャルブログ」の記述内容は、このオフィシャルサイトの1コーナーに再編されました。 【古井智・PROFILE概要】1959年生 1977-80年 武蔵野美術大学 造形学部油絵科 1980-85年 東京芸術大学 美術学部油画科 1985-87年 東京芸術大学大学院 美術研究科修士課程修了 (芸術学修士) 1987-91年 東京芸術大学大学院 美術研究科後期博士課程修了 (芸術学博士) 1991年 芸術学博士号取得 (博士論文「不可能なテクスト」) 2002-2005年 東京芸術大学 油画科 非常勤講師 2005-2007年 阿佐ヶ谷美術専門学校 イメージクリエーション科 非常勤講師 佐賀町エキジビットスペース、広島現代美術館など、個展グループ展多数。 2006年以降、クリスティーズ香港・アジアンコンテンポラリーアートに作品がノミネートされ、国際的アートマーケットで評価される。 2012年11月以降、マルセル・デュシャンの問題に端を発した論考をはじめ、絵画作品の制作活動は事実上の休止状態になる。 |
○2024年9月25日:
古井智著『アポカリプス・ダイジェスト第一巻』(発売元ICONOPLANT)のアマゾン等でのオンライン出版を開始しました。
現代美術家マルセル・デュシャン、哲学者フリードリヒ・ニーチェの謎に始まり、古代から20世紀の第二次世界大戦までの、
知られざる「人間とサタンとの相剋」に関して概論する内容になっており、全七巻になる予定です。
なお本書は、左から右へ行送りする日本文の「左縦書き」によるコンセプトブックになっており、本文は縦書きですが、
和文や欧文の横書き(左横書き)の本と同様に左綴じになっています。
アポカリプス・ダイジェスト
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【内容紹介】マルセル・デュシャンは、晩年のインタビュー集の中で、「人間の創造物のすべてには価値がない。」と言っていたのです。人間の作る諸々の事物に何らかの価値や意味があるとみなすことによって、人間社会はなり立っていると言えるでしょう。それを全否定して憚らない者は、「人間の姿をした人間のアンチテーゼ」と判断せざるを得なくなるのです。この件で筆者の世界観は一変しました。人間外の意識によって、人間世界の言説が侵犯されていることを現実問題と考えるようになったのです。 またフリードリヒ・ニーチェは、その代表作と言われる『ツァラトゥストラかく語りき』の中で、「ある時、悪魔が私に語りかけた。『神にもまた自らの地獄がある。それは人間への愛だ。』ついこの間も、私は彼がこの言葉を言うのを聞いた。『神は死んだ。人間への憐れみによって神は死んだ。』と書いていました。フリードリヒ・ニーチェは、「神は死んだ」と悪魔が言うのを何度も聞いたと書いていたのです。それがフリードリヒ・ニーチェが自身の思想として「神は死んだ」と言及したと誤認されてきたと言えるでしょう。 こうした見解が契機になって、本書では紀元前のアクティウムの海戦から、20世紀の第二次世界大戦までの「人間とサタンとの相剋」に関して論述しています。本書は全七巻を予定していますが、一九三五年までのことが概説された第一巻の目次の概要は以下のようになっています。 序──発端 第一論文:「禁断の史実」・ダイジェスト 第二論文:「解題『ツァラトゥストラかく語りき』」・ダイジェスト 第三論文:「エクストラ・ヒューマン=アポカリプス」・ダイジェスト 第一部:前史―もう一つのトリニティ(紀元前31年のアクティウムの海戦から1096年に始まった第一回十字軍まで) 第二部 一九世紀末の「神の死」 第三部 二〇世紀のハルマゲドン——七つの頭と十本の角をもつ獣の到来 ( 1935年までの論述。1936年以降は第二巻以降に収録予定) A5判 463ページ 価格3,300+税 |
「左縦書き」の普及は、10年以上前に論考の過程で派生した観点だったのですが、この『アポカリプス・ダイジェスト第一巻』は、その最初のコンセプトブックになりました。日本文の「左縦書き」は、すでに40年前の1980年代に特許申請されていたのですが、申請者が審査要請しなかったために「みなし取り下げ」となって公知されているので、今日では権利にかかわらずに自由に使用することができます。 しかし、まったく一般には普及していないのが現状です。 |
「左縦書き」の紙面例(目次ページ) |
上記は、目次ページを例にした「左縦書き」による紙面です。それぞれの字の筆順と「左縦書き」による左から右へ行送りの方向が一致しているのがわかると思います。 日本文に「左縦書き」の慣習がなかったのですが、慣れてくると、この方が自然に感じられてくるのではないでしょうか。 |