古井智オフィシャルブログ

SATOSHI FURUI・OFFICIAL BLOG: Opened Apocalypse

古井智 美術家 芸術学博士

Satoshi FURUI Artist PhD

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(E-mail:satoshifurui7@gmail.com)

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4.歴史認識に関わる具体的な問題点

4-2.「昭和天皇独白録」の改竄疑惑
 オークションで落札された「昭和天皇独白録」の寺崎英成による直筆原本が、2018年に宮内庁に寄贈されたのだが、この「昭和天皇独白録」は、昭和天皇の供述書が改竄されたものである疑いが持たれる。
 終戦直後に昭和天皇の供述書が作成され、それはすぐに英文化されてGHQに提出されていた。そして、稲田周一が持っていたオリジナルの正文は消失し、昭和天皇の崩御後に寺崎英成によって書き写されていた原本が発見されたとして、1991年に『昭和天皇独白録』として出版されていた。その後のNHK取材班の調査などによって、マッカーサーの側近だったフェラーズ准将が持っていた英語訳のコピーの一部が見つかり、それには『昭和天皇独白録』とは一部違う内容が書かれていたことがわかっている。
 一部の識者は、英語訳の方が正文から内容が変えられているのではないかと推測したが、おそらくそれは逆だったのではないかと思われる。英文化されているが、GHQに提出された方が内容的には正文であり、寺崎英成によって書き写された「昭和天皇独白録」の方が、一部改竄されていたと思われる。
 例えばフェラーズ准将が所持していた英文のコピーには、このように書かれていた。

  もし、一九四一年の一一月あるいは一二月ごろ、私が天皇として[開戦の議決に対し]拒否権を行使していたら、恐ろしい混乱が生じたかもしれない。私の信頼する周囲の者は殺されたであろうし、私自身も殺されるか誘拐されるかししたかもしれない。実際、私は囚人同然で無力だった。私が開戦に反対しても、それが宮城外の人々に知られることは決してなかっただろう。ついには狂暴な戦争が展開され、私が何をしようと、その戦いを止めさせることは全くできないという始末になったであろう。
                                 (昭和天皇二つの「独白録」、東野真 NHK出版 p3)

  ここでの「実際、私は囚人同然で無力だった。私が開戦に反対しても、それが宮城外の人々に知られることは決してなかっただろう。」という部分が、『昭和天皇独白録』には書かれていなかったという。それは戦時中に昭和天皇が、宮中で「半-幽閉状態」にされていたことを物語っていたのではないだろうか。そしてそれに抗えば、昭和天皇が信任を置く家臣たちは虐殺され、昭和天皇自身も誘拐されていたかも知れないと言われていたのだろう。おそらく内大臣だった木戸幸一ら「日本のナチス」によって、昭和天皇は宮中で半-幽閉状態にされていたと思われる。そうした「日本のナチス」の痕跡を戦後に掻き消すために改竄されていたと推測される。
 近衛文麿は、第一次近衛内閣の時に、天皇が臨席する御前会議の際に、天皇は何も発言しないようにと閣議決定までして、昭和天皇にはそれが強要されたのである。若い昭和天皇は、御前会議においてさえ無言で黙認するだけの立場にさせられていた。御前会議の際に、昭和天皇が一言も発言しないので、不審に感じていた臣下もいた。そうやって、天皇の大権が封じられようとしてきたのだろう。旧憲法では、日本軍の統帥権は天皇にあると定められていたはずであるのに、昭和天皇は「実際、私は囚人同然で無力だった。」と述懐していたのである。
 しかし、ナチス壊滅後の最後には宮城が占拠されようとするクーデター未遂事件(宮城事件)に見舞われながらも、鈴木貫太郎らの助力を得て、その包囲網を突破して「玉印放送」を発して、はじめて昭和天皇が自らの意思を日本国民に向けて表明することができた。事前に録音された昭和天皇の肉声がラジオ放送され、日本国民ははじめてラジオで、昭和天皇の声とその意思を直接聞いた。そして、「その権威と勢力の永久の排除」と言われたポツダム宣言を受諾して、日本の降伏を受け入れることが宣言されて戦争が終結し得たのである。それによって、日本は「一億総玉砕」などと言われていた狂信的な破滅を免れることができたのだった。
 そして終戦後、玉印放送から約三ヶ月後の1945年11月24日に内大臣府は廃止され、木戸幸一は内大臣から罷免された。
 そして12月6日に、近衛文麿、木戸幸一を含めた九名に、GHQからA級戦犯容疑の逮捕令が出され、近衛文麿は出頭期限日の12月16日に青酸カリを呑んで自害し、木戸幸一は出頭して巣鴨プリズンに収監された。
 寺崎英成は外交官だったが、戦時中は日本の諜報員でFBIにもマークされていたという。外務省のアメリカ局長だった兄の寺崎太郎とともに、木戸幸一や近衛文麿と関係が深く、寺崎英成も「日本のナチス」の一派だったと思われる。終戦後すぐに作成された昭和天皇の供述書の稲田周一が持っていた正文は抹消され、寺崎英成によって改竄された供述書だけを残し、それを昭和天皇の崩御後に公表する計画だったと思われる。そして、それは昭和天皇の崩御後の1991年に『昭和天皇独白録』として公刊されていたのではないだろうか。宮内庁は筆跡鑑定を行ない、寺崎英成の直筆原本と確認してその寄贈を受け入れたが、それは戦後すぐに寺崎英成によって、改竄されて書き残されたものだったのではないだろうか。寺崎英成は、1951年に亡くなっているので、それが公刊されたのはその40年後だった。その主謀者は、寺崎英成ではなかったのだろう。
 サタンの時間軸は、寿命のある人間のそれとは違っている。またサタンは、人間のように人生を考えることもない。霊媒をリレーしていくサタンは、何十年かけても、あるいは何百年かけても、世に欺瞞を植えつけようとするのだろう。それによって、人間世界を惑わせ続けることになる。サタンを現実的な脅威と見做す認識がなければ、想像もつかないことかも知れない。
 マルセル・デュシャンの墓碑銘には、生前に用意されたこのような言葉が刻まれたという。
「なおも死ぬのは、いつも他人」

  それはサタンにとって、常に死んでいくのは霊媒化された人間の方だという意味だったのだろう。
 フェラーズ准将が持っていたコピーはごく一部だったというが、もしもアメリカに昭和天皇の供述書の英語訳が公文書として保存されていて、それが情報開示され得るとしたら、その疑惑はより確かめることができるのかも知れない。


4-3.ロバート・ケネディ著「13日間 キューバ危機回顧録」の改竄問題(内容説明へ)(次ページ)

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